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死生観



会いたいけど会えない人
会えるけど会わない人

じゃあね、またね

この言葉を何回嘘にするのだろう

さよならを言えた試しがあっただろうか。
2度と会えない人に、きちんとお別れしたことなんてあるのだろうか。

初めて友人を亡くした。
最後にあったとき、ちゃんと挨拶しただろうか。
何と言って別れたんだろうか。

お疲れ、
じゃあね、
また飲もうね、

こんな所だろうか。
もしかしたら、何にも言わず
黙って別れたのかもしれない。


もう一度会いたいか
と聞かれたら
正直 そうでもない。
特にするべき話もないし、
やり残したこともない。

この想いは、
亡くなったのが「彼」だったからなのか
亡くなったのが「友人」だったからなのか
それとも
誰が亡くなっても同じなのか。

私は薄情なのだろうか。

友人が1年間留学に行く、
友人が留学を終えて自国に帰る、
そんなとき、私は人目もはばからずに泣いた。
悲しくて、寂しくて、どうしようもなくないた。

今回、彼が亡くなって葬式にも参列したが涙は出なかった。
ぼうっと、大きく飾られた写真を見ることしかできなかった。


これから先、彼の面影を見つけるたびに寂しくなるのだろうか
仲間と彼の話をするたびに心がきゅうとなるのだろうか

想像でしかないけれど、
そんな風に彼を思うとき、彼は生きているのではないだろうか。

少なくとも、会えるけど会わない人よりは。

会いたいけど会えない人
彼らは私の中で生きていて。

会えるけど会わない人
彼らは、死んでしまっている。


人が亡くなるとき
それは呼吸が止まったり
身体が動かなくなったり
そんなことではなくて

その人を想う人がいなくなったとき
なんだろうと思う。


それはつまり、

私の心臓が動いていることや
脳が考えていること
身体があること

こんなことは
生きてること
の証明にはならないということ。

私は私を想う誰かに生かされている。
一人ぼっちの世界で、私の存在を証明してくれるものは何もないのだ。