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死生観



会いたいけど会えない人
会えるけど会わない人

じゃあね、またね

この言葉を何回嘘にするのだろう

さよならを言えた試しがあっただろうか。
2度と会えない人に、きちんとお別れしたことなんてあるのだろうか。

初めて友人を亡くした。
最後にあったとき、ちゃんと挨拶しただろうか。
何と言って別れたんだろうか。

お疲れ、
じゃあね、
また飲もうね、

こんな所だろうか。
もしかしたら、何にも言わず
黙って別れたのかもしれない。


もう一度会いたいか
と聞かれたら
正直 そうでもない。
特にするべき話もないし、
やり残したこともない。

この想いは、
亡くなったのが「彼」だったからなのか
亡くなったのが「友人」だったからなのか
それとも
誰が亡くなっても同じなのか。

私は薄情なのだろうか。

友人が1年間留学に行く、
友人が留学を終えて自国に帰る、
そんなとき、私は人目もはばからずに泣いた。
悲しくて、寂しくて、どうしようもなくないた。

今回、彼が亡くなって葬式にも参列したが涙は出なかった。
ぼうっと、大きく飾られた写真を見ることしかできなかった。


これから先、彼の面影を見つけるたびに寂しくなるのだろうか
仲間と彼の話をするたびに心がきゅうとなるのだろうか

想像でしかないけれど、
そんな風に彼を思うとき、彼は生きているのではないだろうか。

少なくとも、会えるけど会わない人よりは。

会いたいけど会えない人
彼らは私の中で生きていて。

会えるけど会わない人
彼らは、死んでしまっている。


人が亡くなるとき
それは呼吸が止まったり
身体が動かなくなったり
そんなことではなくて

その人を想う人がいなくなったとき
なんだろうと思う。


それはつまり、

私の心臓が動いていることや
脳が考えていること
身体があること

こんなことは
生きてること
の証明にはならないということ。

私は私を想う誰かに生かされている。
一人ぼっちの世界で、私の存在を証明してくれるものは何もないのだ。





文章を書くこと

小学生の頃 

作文を書くのが好きだった。

読書感想文は嫌いだったが、思い出や空想、自分の考えていることを文章にする事が好きだった。


中学生になり

国語の授業で、江國香織「デューク」のデューク視点の物語を書いた。

所謂二次創作だ。

ペンが止まらなかった。

何度も何度も原作を読み返し、登場人物が考えそうな事、言いそうな事、考えていても言わなそうな事を考えた。


高校生

、、、。

思い出せない。

レポートくらいだろうか。

文章を書くことから遠ざかった。



大学生になって

久しぶりに手紙を書く機会が増えた。

留学へ行く友人

卒業していく先輩

お世辞にも字が綺麗とは言いがたいこんな私が、それでも手紙を書きたいと思える人に出会った



現在

もっぱらエントリーシートに綴るくらいだ。

自分の考えや想いを文章に載せて届ける。

手紙に似ているかもしれない。

手紙よりもよっぽど人に読まれたくはないが。




文章を書くことが好きだ。

綺麗な文を書くことが好きだ。

良い事や深い事を綴るのではなく

綺麗な文を書きたい。


綺麗な文は

流れるように

サラサラ溢れる砂のように

止めどなく滞りなく

読み進めることができる文だ。


綺麗な文を書きたい。

けれど

綺麗な文は誰の心にも残らない。


アクシデントのない旅行のように

誰も死なないミステリー小説のように


ただただ時間が進むにつれ読み進められていく文章。

私の文は、誰の心にも残らない。